■ 一番良かった「山背吹く」
ある事件が理由で精神的に落ち込んでいた音道貴子が復活する。
その過程が静かにやさしく描かれている。
私が乃南アサが好きなのは苛烈な事件を扱っていても、どこかにやさしい視線を感じるからだ。
本作は、そういう意味では特に乃南アサらしい作品だ。
長期休暇を得た音道は子供の頃からの友達が嫁いだ宮城県松島の旅館を訪れ、
何かから逃れるように旅館の仕事を手伝いながら過ごしていた。
ある日、保育園に通う友達の息子が立て篭もり事件の人質となり、
貴子が解決に向け動くのかと思ったが、事件を解決に導いたのは貴子ではなく、
過去に殺人の罪を犯した元十両力士のガンちゃん。
ガンちゃんは肩や腹を刺されながら子どもを助け出して事件が解決。
貴子は何もしていない。
何もしていないが故に、事件が解決した時、自分が警察官であると強く自覚する。
ずいぶんと静かに復活するなぁ、と思った。
誰かに何か言われたわけでもなく、行動を起こしたわけでもない。
起きた事件に対し何もできない自分に苛立ち、
その苛立ちを自覚した時に刑事であることが自分のアイデンティティだと感じ、吹っ切れる。
不器用な音道の不器用な復活劇だった。
お見事、乃南アサ。
ところで、解説によると貴子が落ち込む原因となった事件は「鎖」で描かれた事件らしい。
「鎖」を読んだ後ではまた違った味わいになるかもしれない。早く読まねば。
また、音道が刑事を辞めることを諦めた牡鹿半島や旅館のある松島町は
今回の地震で甚大な被害を受けたはず。
音道が見た景色は今どうなっているだろうか。
■救われない「聖夜まで」
婦警としての先輩の小学1年になる息子が、妹が通う保育園の園児を殺害。
先輩が家で子ども達を虐待。
そして極めつけが、貴子が心配して先輩宅を訪れている間に先輩が自殺。
病院に運ばれて助かり、家庭再生へ向け一歩踏み出して終わり、
かと予想したが見事に裏切られた。
乃南アサは鬼なのか。
ここまでつらい話を書く必要があるのか、と思ったが、
現実にはこれ以上の話がいくらでもあるのだろう。
孤立する子育て女性、児童虐待。
この作品をきっかけにこれらの問題により関心を持つ人が増えるかもしれない。
小説とはおもしろいだけが存在価値ではないのだな、とこういう作品を読むと感じる。
が、個人的にはあまりこういう話は読みたくはない、自分も引きずられて落ち込むから。
■理解できない男、高木が登場する「未練」
メインとなるのは貴子行きつけのカレー屋のオヤジに嫌がらせをする男の
死んだ女房(籍を抜いていなかった)に対する未練だが、
私の印象に残ったのは冒頭に登場するチョイ役高木の情けない未練。
1ヶ月くらい前に知り合って行きつけの飲み屋で会って話をするくらいの人に好意を持っていたとして、
ホテルに誘われてついていく女性ってどれくらいいるもの?
また、それくらいの付き合いで相手の気持を確認していないのに
ホテルに誘う男性ってどれくらいいるんだろう?
アンケート機能使って聞いてみようかな。
まあ、まだ訪問者の数が少なすぎて大したデータは取れないけどね。
とにかくこの高木って男が未練たらしくって情けない。
その後も何度も電話をかけて哀願する。
そんな男になびく女がどこにいるというのだ。
また、腹立ちまぎれにストーカー行為をすると脅す。
どこまで情けないんだ、この男。
SEXしたいだけなら風俗に行け。
明らかに相手を間違っている。
最後にサラッと触れられる、ゲイである友人・安雲が男だったら、という貴子の未練がかわいくていい。
ところで、水なしで作るカレーという存在を私は初めて知った。
どんなにおいしいものか、気になって仕方がない。
ネットで調べるとけっこうレシピが載っていた。
今度試してみよう。
■解決しない「立川古物商殺人事件」
極めて容疑の濃い人物が浮かんだというのに、決定的な証拠が見つけられず、
捜査本部が縮小され、貴子は持ち場に戻されてしまう。
機動捜査隊の特性上仕方がないのかもしれないが、
中途半端な状態で持ち場に戻るなんて何ともやり切れない。
それでも事件が解決して話が終わるのだろう、と思っていたら、そのまま終わってしまった。
読者にまでモヤモヤ感を味合わせるとはほんとに乃南アサは憎い人である。
■「立川古物商殺人事件」の後日談「殺人者」
また島本が出てきたので、ついに解決する、と思ったらまたスルーされてしまった。
ラストで事件が動いたことが触れられているので、次の短編集で解決編が読めそうな気配。
お願いだから解決して下さい。
そして静かに“殺人者”になりかけた島本さん。
いくら元に戻る可能性がほぼゼロだからといって、
奥さんの意思を試すために呼吸器を止めるとはやり過ぎではないですか。
もし奥さんが自発呼吸しなかったら、自分が責任を取るといっても、
子ども達に何と説明するつもりだったんですか。
事件も解決してませんし、殺人者にならなくて、ほんとに良かったですよ、島本さん。
■ ほんわかとした「よいお年を」
この手の完全に番外編のような話、けっこう好きです。
シリーズを通して時々出てくる貴子のお母さんがいいキャラしてるし。
連ドラだったら高畑淳子なんかが演じてそうな口うるさいお母さん。
貴子が昂一と結婚したら少しは静かになるのかな。
本作に登場する名前も明かされない若い女刑事。
いつか別の話で出てくるかな。
期待して待ってみよう。
■読み終えてみて
「凍える牙」は読んでいなくともよいが、
「花散る頃の殺人」「鎖」は読んでおいた方が、より楽しめると思う。
「鎖」未読の私には「聖夜まで」の昂一の登場が少々唐突に感じられたからだ。
しかしまた、乃南アサを未読の方は「凍える牙」から始めることをオススメする。
最近読んだ中では「13階段」と並ぶヒットだったからだ。
つまるところ、順番に全部読むべきなのだ、やっぱり。
■瑣末な気になる点
○同僚が音道を“おっちゃん”と呼ぶのはいかがなものか。
アクセントが違うとはいえ、字面だけ見れば中年男性みたいだ。
“おとちゃん”なら“ホトちゃん”みたいでかわいいのに。
○ 守秘義務は?
「聖夜まで」で貴子が昂一に電話で話したのは捜査上の秘密にはあたらないのか。
貴子が非番の時に関係者として知った話だからいいのか。
○横断歩道の真ん中に車を停めていいのか?
「殺人者」で音道と島本が再会する場面で
音道とおそらく八十田が乗る車が
横断歩道で信号が変わるのを待っている島本の前に停まり、
信号が変わった時に渡る人に囲まれている。
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